自分のこと

ゆだねなさい

こんにちは。

今日はただ自分の普段感じていることを書いていきます。

みなさんいろいろ悩みはあると思います。

私も悩みが多いです。というか❝おそれ❞が強いです。そうです臆病なんです。

自分が傷つきたくないんです。なので人づきあいも制限しがちです。壁を作っています。

闇が深いです。

そんな私がたどりついた境地についてお話にします。

その境地とは

 

『ゆだねる』

 

ということです。

陽は沈み、陽はまた昇るこんにちは。 今日は私のブログの副題について述べていきます。 とどまれない とどまることを知らない時間の中でいくつもの移りゆく...

この記事でも書いていますが、とにかくゆだねるしかないと思っています。

もうゆだねると決めました。ジタバタしても始まりません。

世界に自分の思い通りになることがあるのでしょうか?自分の心臓の鼓動すら止めることができません。そんな自分に他人をどうこうできるはずがない。

他人をコントロールしようとすればするほど苦しくなるだけです。コントロールできることはないのですから。

ならどうすればいいか?自分の捉え方を変えればいいんです。

例えば、住んでるマンションで上階の人がうるさいとします。管理会社や不動産屋に言っても、なかなかおさまらないかもしれません。直接注意してもおさまるのは最初だけかもしれない。こちらが消耗するだけです。

こういう場合は『上の人はうるさい』と理解して許容します。

❛許し❜ を ❛与える❜ んです。

この ❛与える❜ は仏教用語で「布施」といいます。

お布施は、お金がなくてもできます。

『無財の七施』というものがあります。優しい言葉をかけるや笑顔でいるなど誰でもできることです。

無財の七施

  • 眼施 … やさしい眼差しで人に接すること
  • 和顔悦色施 … にこやかな顔で接すること
  • 言辞施 … やさしい言葉で接すること
  • 身施 … 自分の身体でできることを奉仕すること。重い荷物を持ってあげる、困っている人を助けること
  • 心施 … 他の人のために心をくばること。慈悲の心を持つ、思いやりの心を持つこと
  • 床座施 … 席や場所を譲ること。分かち合いの心、譲り合う心をもつこと
  • 房舍施 … 自分の家を提供すること。お客さんに対してあたたかくおもてなしをすること

無財の七施については、最初に知ったときに感銘を受け、実践しようとしています。

上記の騒音の例は私の実体験です。さすがに、”許し”を”与える”までは難しいですが、相手を変えようとしなくなるだけでも楽です。

全てに対して「ゆだねる」「流される」と決めると私のこれまでの人生を肯定することができました。

私は消極的な人間です。欲のあまり無い人間です。『どうしても〇〇したい』というのがありません。

できなくても、手に入らなくても『しゃあないか』と諦めることが多いです。

独りっ子で不自由なく育ったからでしょう。

自分で決めたことと言えば、「空手をやること」と「占いで独立すること」くらいです。

空手をやること自信を得て、占いで独立することで自由を得ました。

一般的には。意欲的に目標に向かって突き進む人が評価されると思います。欲しいものは自分で勝ち取れ!という考えのほうがよく聞こえます。

私はそうではありません。どの場面でも流されます。

占いで自由を得たと書きましたが、自由な時間は得ましたが、精神的には自由といえませんでした。

4月から独立したはいいが、新型コロナによる緊急事態宣言の影響によるイベントの激減。活動が制約されることに…

『どうしようもないなぁ~』という心境でした。

この世界は、どうにもならないことばかりです。

般若心経

私は普段から般若心経を唱えています。

 

一つのものが「ある」ように見えるのは、それだけが単一に「ある」のではなく、網の目にようにいろいろのものがかかわりあい、助成しあい、そしてそれが結合され合成された現象として「ある」のです。

『般若心経入門』  著 松原泰道

われわれ人間も物質的現象です。単一では存在すらできないのです。

ゆだねるしかない

ゆだねることしかできない。

 

では、何もできないのか?そんなことはありません。

 

だからただ「物質」といわずに「物質的現象」というのです。”これあるに縁りてかれあり”といわれるゆえんで、「縁る」とは「因縁」の縁です。

「因縁」とは、因と縁のことで、因とは結果を生ぜしめる内的な直接的要因、縁とは外側からこれを助成する間接的原因ですから、内因・外縁ともいいます。一切のものは因縁によって生滅するから、釈尊は”これなきに縁りてかれなし”と言葉をつづけられるので、縁によって起こるから縁成とも名づけられます。

すべての物質的現象(色)は、単一に存在するのではなく、このように何らかの因と縁とが複雑な合成によって生成されたものであるから、それがなくなるときは”これ滅するによりてかれ滅す”ので、単一な存在はない―ー、実体はない。この意味が「色即是空」と表現されるのです。

『般若心経入門』  著 松原泰道

 

単一に存在できないなら、からみあう外的要素を整えていけばいい。

気学的には旅行や引越、家相的には間取り、掃除などです。

(例;インプットしたければ、北側の部屋で勉強するなど)

主体たる自分に影響する外側の要因を整えていけば、それに繋がる物質的現象(自分)も狙った方向性に導けるかもしれません。

外掛の間接的要因を整えて、内的な直接的要因を操作し、主体たる自分は流されます。

河に流れる水のように流されます。

水は地形によって流れを変えますが、時には地形も変える強さも持っています。

”水のように流される”と決めている私は、真の自由を得たといっていいでしょう。

どんな障害にぶつかろうと「ゆだねる」「流される」と決めています。なので、なにものからもコントロールされることはありません。状況や場面に応じて、流されると決めているわけですから。

これからは積極的にゆだねていきます。

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